ジャンボジェット機開発の歴史とその意外な過去とは?

ジャンボ機は、1970年にパン・アメリカン航空のニユーョーク~ロンドン間に初めて就航して以来35年、大型機のベストセラーとして世界の多くの航空会社に納入され、現在もファミリー機が数多く空を飛んでいます。

ですから、ジャンボ機が旅客機として開発されたものと思っている人がいても決して不思議ではありません。しかし、ジャンボ機は、もともと軍用輸送機として開発中だったものを、発想を転換する形で旅客機用に転用したモデルなのです。

1964年にアメリカ軍は、3大航空機メー力ー、ロツキード、ダグラス、ボーイングの3社に、兵士の大量輸送機の設計案を提出するよう求めました。海外基地の縮小を考えていた国防省は、何かあれば数個師団の兵力を即時に移動できる計画を進めていました。それには1機で700人の完全武装の兵士を運べる輸送機が必要だったのです。

当時、ボーイング社は新型輸送機の開発に失敗して、次に開発すべき長距離輸送機の計画がなかったことから、この計画(CX-HLS)に全社をあげて取り組みました。大型爆撃機Bー52を開発した同社は技術に自信を持ってはいましたが、受注に失敗。2億5000万ドルも安い価格を提示したロッキード社が受注に成功し、81機を生産したのです。

ロッキード社との受注競争に負けた直後、ボーイング社は民間航空会社の最大手パン・アメリカン航空から、それまでの旅客機の2倍以上の乗客を運べる大型機の開発を求められ、「国際路線のパイオニア」を自負し、強気のパン・アメリカン航空は、将来の乗客増を予測して350~450人の乗客を一度に乗せられる大型機の開発を構想していたのです。

当時、国際航空路線で活躍していた旅客機は、50年代に開発された乗客数150~200人のボーイング707やダグラスDCー8で、大型機の開発は「奇想天外な構想」でした。これに対して、ボーイング社は、受注に失敗した軍用機開発基本計画を旅客機に転用するという大胆な手法に打って出たのです。

そのために投入されていた技術と人員のすべてを投入。受注に失敗したボーイング社に唯一残されていたのが大型旅客機の開発で、すぐに売れる機種ではありませんでしたが、当時はこれしかなかったのも事実。ただ、アメリカのSST開発計画でトップを走っていたので、あわよくば将来、ジャンボとSST両方でトップに、という考えもあったといわれています。

そして4年後の1969年2月9日、史上最大の旅客機ジャンボが初めて空を飛びました。ちなみにSST開発計画はその後挫折し、ジャンボはボーイング社のドル箱になり、両方は得られませんでしたが、このときの大胆な転換は「大成功した」と、いえそうです。

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