ヴァージン・アトランティックの撤退から見えてくる成田の未来とは

イギリス方面に旅行に行かれた方なら、ヴァージン・アトランティック航空をご存知かと思います。

個性的なサービスで業界でも一目置かれている存在ですが、そんなヴァージン・アトランティック航空が2015年2月1日を最後に日本から撤退してしまいました。約26年の間、成田-ロンドン線を運航していた同社の撤退を惜しむ声も少なくありません。

日本路線運航最後の日、成田空港のチェックインカウンターでは同社の職員が感謝のステッカーを乗客などに配り、最後の姿を一目見ようと集まったファンと記念写真を撮るなどして別れを惜しみました。

そして最終便が出発する際には、乗務員が操縦室の窓からユニオンジャックを振って「26年間ありがとう」の挨拶をするなど、最後まで心憎い演出をしてくれました。

1989年に成田-ロンドン線に就航したヴァージン・アトランティックは、独創的で斬新なサービスで人気を集めました。自宅から空港までの無料送迎サービスや充実した機内食の他、特に人気だったのは同社の専用ラウンジ。

通常はドリンクやアルコール、軽食サービス程度ですが、ヴァージンのラウンジでは飲食以外にもヘアカットサロンや靴磨き、ミュージックルームなど、利用客のために搭乗前から楽しんでもらうための空間づくりは群を抜いていました。

日本の大手航空会社社員いわく「ヴァージン社のサービス精神、遊び心は際立っており、乗客を惹きつけたのは間違いない」とのことでした。

航空会社のサービスはどこも同じような感じになりがちですが、ヴァージンの独創的なサービスの影には創業者リチャード・ブランソン会長の存在を欠かすことはできません。

ブランソン氏はパブリックスクールを中退後、1973年にヴァージン・レコードというレコードレーベルを設立、1984年にヴァージン・アトランティック航空を創業、イギリス第2位の航空会社にまで成長させるとともに、現在では多くの企業を傘下に置く世界的な事業家。

一方、熱気球で太平洋や大西洋横断に挑むなどの冒険家としても知られていて、過去には別の航空会社のトップとF1レースで賭けをし、負けたブランソン氏は罰ゲームとして女性CAと同じ赤いミニスカートの制服を着て搭乗したというエピソードもあります。

そんな個性際立つヴァージンでしたが、ここ数年は円安に伴う日本人利用客の減少や燃料費高騰などにより、日本路線の採算を保つのは困難を極めたようで、2014年9月に世界的な路線の見直しを実施した際、日本路線からの撤退を決定。

そもそも、2012年9月にはヴァージンは当時運航していたロンドン線の発着空港を成田から羽田に変更するという方針を出していたのですが、その後羽田線への移管は実現せず成田線を維持したまま、最終的に今回の撤退という結果になったのです。

このような状況下でささやかれているのが“成田縛り”という暗黙のルールの存在。

ネット上で検索すると、“成田縛り”とは羽田空港発着の国際線を運航する場合、同じ国へ現状運航している成田空港発着路線を維持しなければならないということのようです。法律にも国土交通省などの通達にも記載されてはいませんが、どうやら非公式のルールとされているようです。

航空会社の幹部は「国際線が成田から羽田に流出してしまうことに歯止めをかけるための事実上の行政指導、監督官庁の権限が強い航空業界ではペナルティを恐れ、暗黙の了解としてとして各社順守せざるを得ない」と明かしています。

監督官庁である国土交通省航空局の担当者は「二国間交渉に関することなのでコメントできない」とダンマリの模様。

今回のヴァージンの撤退に関しても、“成田縛り”が存在するのだとしたら、羽田発着のロンドン便に勝算はあるものの成田と羽田の2路線を保持するのはリスクが高いと判断され、結果的に採算性の低い成田線を絶たざるを得ないという判断になったという可能性も大いにあるのではないでしょうか。

成田空港を運営する成田国際空港会社(NAA)の夏目社長はヴァージンの撤退について、「極めて残念、成田便の復活を期待したい」と語っていますが、ヴァージン以外の航空会社でも成田撤退の噂が聞こえています。

国際線の発展が進み注目を集める羽田空港と、その影に潜む成田空港、ヴァージンの撤退は成田離れの兆候なのでしょうか?

暗黙のルールだけで成田空港につなぎとめる行政指導が成田空港の維持発展につなげていくことができるのか、2020年の東京オリンピックに向けて今後の航空網の発展についても、利用者の利便性などを第一に考えてもらえれば明るい展望があるのかもしれません。

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