デルタ航空の相次ぐ緊急着陸は何かの予兆なのか?

太平洋戦争末期、日米両軍が激突して、両軍合わせて5万人近くもの多数の死傷者を出した硫黄島の激戦は、クリント・イーストウッド監督により映画化されたことでも知られます。

その舞台である硫黄島は、行政区分上は東京都に属するとはいうものの、小笠原諸島のさらに南、そこから日本の領海内にはもう南硫黄島を残すのみという孤島で、地図上で見た限りでは本州よりもグアムのほうが近いのではないかという位置にあります。

硫黄島は現在、海上自衛隊と航空自衛隊の基地があって、年に数回のチャーター便による遺族の皆様の慰霊訪問以外は民間人の立ち入りは禁じられています。

島には2650メートルの滑走路を持つ飛行場があって、通常は航空機の管制支援、ヘリコプターによる海上での救難活動、小笠原諸島住民に急患が出たおりに本州の病院に輸送するなどの業務を行っています。

その硫黄島にアメリカのデルタ航空機が緊急着陸したことが話題となりました。

2014年11月9日、関西国際空港を発ったデルタ空港の294便グアム行きは、硫黄島の南南東に達した時点で2つ搭載しているエンジンのうち左側のエンジンにトラブルが発生、急遽目的地を硫黄島飛行場に変更して右側のエンジンのみで飛行し、緊急着陸しました。

民間機の硫黄島への緊急着陸は、2003年3月にグアム発のコンチネンタル航空931便仙台行きがエンジントラブルで着陸して以来、11年ぶりのことでした。

このニュースが報じられるやいなや、原則として民間人が入れないはずの硫黄島に民間機が着陸したことが注目され、ツイッターなどには硫黄島に行きたい、硫黄島に降りられてうらやましいなどといった極めて無責任なツイートが流れたようです。

しかし、当事者である当該便の乗客163人はそんな呑気なことを言っていられる状況ではありませんでした。なぜならば、乗客は関空ですでに出国手続きを済ませており、日本国内である硫黄島に上陸するわけにはいかなかったため、飛行機から降りられなかったからです。

民間空港がない硫黄島では、空港ターミナルに移動して休息するということもできませんでした。

この事故を受けてデルタ航空が成田から飛ばした代替機が硫黄島に到着したのは、緊急着陸から6時間後のこと。それまでの間163人の乗客はずっと飛行機内で過ごさねばなりませんでした。

デルタ航空側は、その6時間の間に大きなトラブルはなく、気分が悪くなった乗客もいなかったとしていますが、代替機に乗り換え、やっとのことで目的地グアムに着いたのは到着予定時刻より9時間も後のこと。乗客の中には不安やストレスにより憔悴した様子の人もいたようです。

雨の硫黄島に到着した代替機への乗り換えについては、飛行場を管理している海上自衛隊が、乗客が飛行機から降りるためのタラップ、預け入れ荷物を代替機まで運搬するためのフォークリフトを貸し出すなどして協力しています。

デルタ空港294便はボーイング757-200を使用していました。置いて行かれた機体を硫黄島から移動させるにはエンジンを交換する必要があり、デルタ航空は交換用エンジンと整備士及びパイロットを乗せたチャーター機を成田から硫黄島まで飛ばすことになります。

デルタ航空機は、硫黄島緊急着陸事故の5日後、11月14日にもデトロイト発629便中部国際空港行きが北海道付近でエンジントラブルを起こし、新千歳空港に緊急着陸するという事故を起こしています。629便は硫黄島へ緊急着陸した294便とは違うエアバスA330を使用していました。

日本国内で相次いで起こったデルタ航空の緊急着陸について、国土交通省航空局は今後の情報次第ではアメリカの航空当局に連絡するケースもあるとしています。

思い返すと日本航空が経営破綻する直前には、コスト削減のために整備を外注にしたことが原因の整備不良が重なりました。そのことが日本航空が信頼を失い、経営状況悪化を加速することにもつながっています。

今回のデルタ航空の度重なる緊急着陸はボーイングとエアバスそれぞれ別の機体を使っていたということなので、機体自身の不具合とは考えにくく、デルタ航空の整備体制に問題があることも考えられます。

もしかりにそうであるならば、デルタ航空には日本航空のような破綻の未来が待っているかもしれません。

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