老舗国際空港、新潟空港の受難とは?

現在、国際線を利用する人の多くが成田空港から出発していますが、実は成田空港が開港した1978年より5年前に国際空港としてスタートしていたのが新潟空港です。

日本海に面する新潟港は、古くから朝鮮半島や中国と船が行き来するなど、東側諸国への海の玄関口として重要な役割を担っていました。その流れで、新潟空港も東側諸国への空の玄関口として、国際路線の就航がなされたという経緯があります。

新潟空港の国際化は、ハバロフスク空港との間に定期便が就航したのが始まりでした。当時は米ソ冷戦下でしたから、中国やロシア極東との連絡窓口として、新潟空港の役割はなおさら大きなものがあったと言えるでしょう。

しかし最近ではほかの空港で国際便が増えたこともあり、新潟空港の国際線搭乗率は下降傾向が続いています。

イルクーツク空港との路線が休止したのは2006年のこと。その後、2011年にはウラジオストク空港とハバロフスク空港を結ぶ2路線を運航していたウラジオストク航空が、両路線の休止を決定しました。

新潟空港はロシア極東との新たな路線の開設をめざし、努力していますが、空港の運用時間の問題もあり、難しいようです。国際便の就航には、早朝や夜間に離着陸ができると都合のいいことが多いのですが、周辺住民にとっては騒音の問題があり、運用時間延長には慎重な意見が少なくないようです。

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