今は懐かし、香港アプローチの今

皆さんのなかには、「香港アプローチ」あるいは「香港カーブ」という言葉をきいて、懐かしく感じる方も多いのではないでしょうか。これは、1998年に閉鎖された、昔の香港国際空港で行われていた着陸方法のこと。香港といえば、ビルの合間をすりぬけるような感じで滑走路へ降り立つ飛行機は、世界中で有名でした。

旧香港空港は、世界一着陸の難しい空港と言われ、「ビルの洗濯物を引っ掛けるような着陸」などと形容されていました。

なぜ着陸が難しいかと言うと、香港の狭さにありました。旧香港空港の滑走路の延長線上は、すぐに山があるため、ジェット機が着陸する際、普通は滑走路まで約8キロくらいで最終着陸態勢をとり、機体を安定させて、そのまま真っ直ぐ滑走路へ進入します。

しかし、旧香港空港は、滑走路のすぐ先には小高い丘があり、そのため、着陸するにも、丘が邪魔で滑走路に真っ直ぐ進入できないのです。そこで、香港空港にアプローチする飛行機は、まず滑走路とほぼ直角90度の角度でこの丘に突入し、ぶつかる直前で、右に急旋回して滑走路に向かうという着陸方法をとっていました。

丘の斜面にパイロットが突入の目安にする巨大な市松模様(チェッカーボード)が描かれており、チェッカーボードの丘と呼ばれています。このチェッカーボードの丘にはアンテナが立っており、このアンテナから着陸する飛行機に向けて誘導電波が発射されていました。

一種の自動着陸装置みたいなもので、普通の空港では、この電波に最後まで従っていけば、安全に着陸できる仕組みになっています。香港の場合は、まずパイロットはこの市松模様をめがけて着陸するように電波で導かれ、寸前で自動操縦を解除し、自力で右旋回をして滑走路に向かいます。

この着陸方法は「香港カーブ」とよばれ、香港の名物として親しまれていました。馴れないパイロットは、着陸進入に失敗してゴーアラウンドしたり、着陸過走して滑走路先の海中に突っ込んだり、旋回角度が甘くなり、微調整がきかないまま滑走路に進入したので、着陸が粗くなったり、しりもちをついたり、エンジンを地面に接触させたりするトラブルが多かったようです。

一方、地元のキャセイ・パシフィック航空や、香港ドラゴン航空のベテランパイロットは、旋回後のアプローチ距離を長くとるため、ギリギリまで丘の市松模様に向かって飛び、ぎりぎりのところで一気に旋回する技を駆使することが多く、乗客はかなりのスリルを感じたようです。しかし技術は確かで、豪雨でも、強風でもきっちりランディングを決めることができたそうです。

また、市街地での超低空での急旋回ということで、右側の席からは、すぐ真下にビルの屋上が迫ってくるような光景を体験することができ、香港への常連の乗客なら必ず右の窓側席を希望したそうです。

しかし、そんな光景も過去のもの。

第二次世界大戦後、空港は拡張工事を繰り返してきましたが、空港の拡張は隣接地の買収も難しいうえ、九龍湾北岸を埋め立てる余裕もないことから、1970年代に入り、新空港の必要性が叫ばれました。

そして、1984年に香港の中国への移譲・返還が決まると、イギリス系の建設会社主導で新空港の建設が開始されました。この新空港の開港により、旧香港国際空港は閉港となり、1925年に運用開始して以来73年の歴史に幕が閉じられました。

閉港後、ターミナルビルは取り壊されずに残され、香港政庁の合同庁舎として、設備はそのまま利用し、税関や入国管理当局の訓練所などとして利用されました。

空港の閉鎖後、建物が取り壊されるまで、滑走路はBEYONDや張惠妹などの大型コンサートに数回使用されたり、出発ターミナルだった場所にゲームセンターや屋内ゴーカート乗り場などのアミューズメント施設もありましたが、2004年9月頃から始まった工事により、取り壊されました。

閉鎖されるまでは、航空機が市街地の上空を通過するため、周辺は空港に近づくにつれ低いビルしか建てられないという、高さの制限が設けられていました。空港が無くなった今、その規制も撤廃され、例えば高級住宅地の九龍塘では、従来12階建て相当の高さに規制されていましたが、現在ではそのうちの数軒が30階建てのマンションに建て替えられるなど、景観に変化が出始めているようです。

また、空港に誘導するための着陸誘導灯が無くなったため、市街地でのネオンサインの点滅が解禁となりました。

現在の香港空港に移管し、安全性が高くなったことはよいことですが、この「香港アプローチ」「香港カーブ」が、旅行客にとって「香港ならでは」を味わえるひと時だったともいえるかもしれません。

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