格安航空会社LCCの発展とIT革命

1960年代後半のアメリカの航空業界は、IATAという、世界中の主な航空会社が加盟する団体が、カルテルで路線の運賃を決めていたため、運賃は考えられないほど高いものでした。

また、新規航空会社の参入は厳しく、各国の政府は、国際線に関して、政府間で制限し、実質的に新規航空会社は、定期便への参入は不可能な状態で、チャーター便しか運行が認可されていませんでした。

そんな中、レイカー航空という、現在のLCCの原形ともいわれる航空会社が、無料で預けられる荷物の重量を他社より少なくし、燃費の向上を図ったりと、当時としては、大手航空会社では実施されていなかった、様々なコストを抑える努力を行い、それをチャーター料金に反映させました。

このレイカー航空の格安チャーター便を利用した、ヨーロッパ各地を訪れるツアーが人気を呼び、イギリスでもっとも利益のあがる航空会社とも言われるほどになりました。

レイカー航空は順調に業務を拡大し続けましたが、第2次オイルショックや、1980年初頭のイギリス、アメリカ両国の、景気後退にみまわれました。

レイカー航空のような低運賃の航空会社にとって、この原油価格の高騰による運行コストの上昇は、他の大手航空会社以上に経営を圧迫し、英米を覆う不景気により、低運賃で利益を確保するための高搭乗率を保つことが出来なくなりました。

また、レイカー航空はイギリスの会社ですが、燃料や航空機機材の代金の借入や支払いはUSドルで行っており、この時期にポンド安・ドル高が進んだことも、レイカー航空の経営を一層苦しめました。

この状況を知った、英国航空などの大手航空会社が、今まであえてレイカー航空と運賃競争をしてこなかったのが、その方針を変え、レイカー航空なみの運賃で航空券を販売し始めました。

そのため、レイカー航空の乗客は次第に競合するライバル会社に流れ、乗客は激減し、1982年2月にレイカー航空は運行停止、倒産することとなりました。

その後の1980年代以降、サウスウエスト航空が台頭してくるものの、多くは生き残ることが出来ずに、倒産もしくは大手にのみ込まれました。

大手を守る規制が、これらの格安航空会社の壁となったことが理由として挙げられますが、他にも、旅行会社に支払う手数料も大きな負担となっていたようです。

各航空会社は、旅行会社を介して航空券を売っていました。つまり、旅行会社に航空券販売を委託し、その見返りとして販売手数料を支払っていたのです。航空券の販売には専用の端末が必要になる為、大手航空会社は主要な旅行会社に自社の端末を使用してもらっていました。

しかし、新興の航空会社は販売網が弱く、今のようにインターネットも普及していなかったため、とても太刀打ちできなかったのです。

しかし、IT技術の進歩で今では事情が大きく変化しました。これまで旅行者は旅行会社に足を運び、対面で航空券を購入することが多かったのに対し、今ではネット上で簡単に航空券を購入することができます。

そのおかげで、旅行会社を通す必要もなくなり、手数料を支払う必要がなくなりました。コスト削減を掲げるLCCにとっては、この手数料の削除は大きな意味があります。また、IT技術の進歩に伴って航空機の性能も上がり、IT革命はLCCの発展にとって不可欠なものでした。

また、インターネットの普及で、メディア媒体への広告も必要なくなり、ホームページやSNSなどで、自身で広く情報を発信することができるようになりました。

また、近年では、スマホやiPadなどで、より簡単にいつでも情報をキャッチでき、思い立ったら気軽に予約、そして飛行機を利用できる時代となりました。

あらゆるモバイルがビジネスの面で世界を近くしてくれるのと同時に、LCCの普及で、フットワークそのものも軽くなりました。

関連記事

ページ上部へ戻る