日本の旅行業界に大きな貢献をした女性添乗員

戦後、日本政府が国民の海外渡航の自由を認めたのは1964年のことでした。その1964年に出国した女性の数は5万人以下。ところがその9年後の1972年には、女性の出国者数は30万人強と6倍以上に増えています。

男女の比率で見ると、1964年の時点では男性:女性が7:3だったのが、2012年には5.5:4.5と僅差で女性のほうが少ないながらもほぼ同率となっています。

海外渡航自由化当時の海外旅行は非常に高額なものでした。その後、団体割引制度が増えていき、それとともに海外旅行は団体旅行が主流になっていきます。そして、1970年代の中頃にはすでに今日のような正月休みを海外で過ごすという人たちが定着してきたという報告が『観光白書』でされています。

『観光白書』とは、国土交通省の観光庁が、国民の観光の状況、政府の観光に対する政策などをまとめて国会に提出する公式文書です。1970年代当時は運府省の観光局が作成していました。

1976年版の『観光白書』には1975年度の観光状況が記載されています。それによると、1975年の海外旅行者はのべ246万6千人ほど、これは前年度と比べて5.6%の増加です。そして、1975年12月26日から翌1976年1月4日の間の海外旅行者は10万人強、これは前年度同時期より14%増えています。いかに年末年始の海外旅行者が増えたかが如実に分かります。

また、この海外旅行者数の増加については、数次旅券の発行に因る所も大きいとのこと。それまでパスポートは一次旅券、つまり一度きりしか使えないものしかありませんでした。これは海外に行くたびに作らなければならないので非常に不便です。この一次旅券は日本では現在発行されていません。

1970年に初めて期限内であれば何度でも使えるパスポート「数次旅券」が発行され、利便性がよくなったことから、海外旅行に度々出かける日本人が増えました。そのことも、日本人観光旅行者の増加の一因となっています。

さて、旅行会社主催の団体旅行というと、旅行中参加者のお世話をなにかと焼いてくれる添乗員がつきもの。今では女性添乗員も当たり前の存在ですが、当時は旅行会社の男性セールスマンが、自分が売ったツアーにそのまま添乗員として参加するというのが主流だったようです。

女性添乗員が登場したのは1972年のこと。近畿日本ツーリストは、女性契約社員を「ホリデイガール」という添乗員に仕立てて、現在まで残っているツアー商品「ホリデイ」に添乗させました。1972年は上記のように女性の海外渡航者が非常に増えていくという流れの中にありました。

そのために、女性客のお世話をできる添乗員の必要性が訴えられるようになっていました。特に、勝手がわからない海外では女性の生理や不調などに対応し、必要なものを用意できる女性の気配りが不可欠だったであろうことは想像に難くありません。

とはいえ当時の日本はまだまだ男性社会。団体旅行も半数以上の参加者は男性ということで、女性添乗員を低く見るような風潮もあったとのこと。

ただ、旅行業界の専門家によればこの「ホリデイガール」の登場を嚆矢として増えだした女性添乗員の活躍があったればこそ、今日熟年層も含めた幅広い年代の女性が、海外旅行を楽しめるようになったのではないかとのことで、日本の海外旅行の歴史において非常に大きな役割を果たしていたということがわかります。

決して男性添乗員がダメということはありませんが、しかし、やはり旅行客のお世話係という役割においては、男性よりも女性ならではの細やかさというものが求められるのかもしれません。添乗員という職種に女性が大きく貢献していくのは当然のことだったのでしょうね。

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