スペースシャトルの歴史とその後を受け継ぐ計画とは

「最近スペースシャトルのニュースを聞かないな」なんてなんとなく思っている方もいるかもしれませんが、スペースシャトル計画は2011年7月8日に打ち上げられた「アトランティスSTS-135」を最後に終了しています。

○スペースシャトル開発前史

いわゆる「宇宙ロケット」を見ても分かる通り、宇宙に行くのに飛行機のような翼は必要ありません。ただ、ロケット技術が未熟だったころは、飛行機が飛べる高度をどんどん高くしていくことで宇宙へ到達しようという発想があったので、そのためには翼も必要でした。

第二次世界大戦中、ナチスドイツはV2ロケットという世界初の実験レベルではない実用的な液体燃料ロケットを開発しました(実験レベルでは1926年にアメリカで小型ロケットが打ち上げられています)。しかしこれは今日で言う弾道ミサイルであり、人間が乗り込んで宇宙に行こうという目的のものではありませんでした。

とはいえ、V2ロケットの出現により、ロケットに翼は必要ないということが認識されるようになります。

ただ、それとは他にナチスドイツは、ドイツから射出して当時のプロペラ戦闘機には到達できない高度にまで達し、アメリカを爆撃してからナチスの同盟国である日本が領有していた南太平洋の島に着陸するという攻撃機の構想を持っていました。

この攻撃機を発案者の名をとって「ゼンガー」といいます。ゼンガーにはそのコンセプト上、翼が必要だったのです。ゼンガーは実験段階のまま終戦を迎えたために結局実用化されることはありませんでした。しかし、その実験成果はアメリカとソ連の手に渡ります。

ゼンガーの実験用機体は、ただロケットに翼をとりつけたようなもので、スペースシャトルのフォルムとは似ても似つきません。しかし、「有翼宇宙ロケット」というコンセプトはアメリカやソ連の研究者に強い影響を与えました。

○アメリカでの研究

宇宙に行った宇宙船を帰還時に水平着陸させるというまさにスペースシャトルそのものの構想自体は、戦後まもない時点でNASAの前身であるNACA=アメリカ航空諮問委員会が持っていました。

その構想のアイディアを出したのは、ロケット技術を欲したアメリカの求めによりアメリカへ渡った元ナチスドイツのロケット技術者ヴァルター・ドルンベルガーです。

ドルンベルガーは、アメリカ空軍の顧問としてロケット開発に従事していました。

アメリカ空軍・海軍とNACAはその構想とナチスのゼンガー計画をもとに、ロケットエンジンを搭載した実験機「X-15」の開発を始めました。X-15は、1960年の飛行実験で速度はマッハ3.31、高度は41,605mを達成しました。41,605mというのはあと一歩で成層圏を突破するという高さです。

X-15はゼンガーの実験模型を少し筒状に丸くしてキャノピーをつけたようなフォルムをしていました。

○リフティングボディ

そうした流れとは別に、アメリカでは翼ではなく胴体を含めた機体全体で揚力(簡単に言うと空気の流れにより鳥や飛行機を浮かせる力)を得られるリフティングボディという航空機の研究もなされていました。

リフティングボディはいくつかの無人実験機が作られた後、1973年にはアメリカ空軍とNASAが共同開発した「X-24B」が飛行、及び着陸に成功しています。

X-24Bは大気圏再突入というコンセプトを意識した機体でした。

○スペースシャトル計画

NACAは1958年NASAとなります。NASAは、1968年、地球と宇宙を往復できる「統合往還機」の研究を始めました。翌年1969年にはニクソン大統領はスペースシャトル研究グループを組織、そして1972年には国家事業として「スペースシャトル計画」を進めることを発表しました。

1976年、初めてのスペースシャトル「エンタープライズ」が一般公開されました。ただしエンタープライズは滑空実験をするための機体で、宇宙にまで行くことはありませんでした。

ちなみにこの「エンタープライズ」という名称は、人気SFドラマ『スタートレック』に登場する宇宙船の名前であり、『スタートレック』ファンから名称を「エンタープライズ」にしてほしいという多数の投書がホワイトハウスに届いたために当時のフォード大統領がそう命名したという経緯があります。

実際に宇宙まで打ち上げられたのは、スペースシャトル2号機の「コロンビア」でした。

○2度の大事故

その後、ほぼ一年に一回はスペースシャトルの打ち上げが行われていますが、1986年には打ち上げ直後の「チャレンジャー」が爆発し、乗組員が死亡するという痛ましい事故が起こっています。この事故によりスペースシャトルの打ち上げは1年半ほど行われませんでした。

その後は再び打ち上げが行われ、1992年には日本人としては初めて宇宙飛行士・毛利衛さんがスペースシャトル「エンデバー」に乗り込んで実験を行いました。

しかし2003年、スペースシャトル・コロンビアが今度は大気圏再突入後の着陸直前に機体が分解し、またも乗組員が犠牲となりました。

○スペースシャトル計画終了

2004年、当時のジョージ・W・ブッシュ大統領は、国際宇宙ステーション開発や次世代の有人宇宙機などの開発をもとにした「ビジョン・フォー・スペース・エクスプロレーション」の中に、スペースシャトル計画の終了を盛り込みました。

その中核をなすNASAが進めていた有人宇宙機計画「コンステレーション計画」は、オバマ政権になってから中止されたものの、スペースシャトル計画は当初の予定通り2011年には終了しました。

○ドリームチェイサー計画

スペースシャトル計画は終了しましたが、そのかわりとなる往還機の計画は進んでいます。それが「ドリームチェイサー計画」です。

これはもともと「ビジョン・フォー・スペース・エクスプロレーション」に呼応して発表されました。

ただしドリームチェイサーはスペースシャトルとは異なり民間企業「スペース・デヴ」が研究・開発したもので、スペース・デヴが2008年に「シエラ・ネヴァダ・コーポレーション」に買収された後も開発が続けられています。

ドリームチェイサーは、ソ連が1980年代に開発していたスペースシャトルに類似した機体「BOR-4」の技術をNASAが応用したリフティングボディ機「HL-20」がベースとなっています。

2010年、シエラ・ネヴァダ・コーポレーションは国際宇宙ステーションへの物資、人材などの輸送を民間企業に委託するというアメリカ政府とNASAの方針による民間有人宇宙船開発=CCDevの一環としてNASAから開発費を供与されました。

2014年にはJAXAから将来的な技術協力をするための話し合いを始めるというプレスリリースも出されています。

しかし、同2014年9月、NASAは2017年以降に国際宇宙ステーションへの輸送するための輸送機開発企業としてボーイング社とスペースX社を選定、ドリームチェイサーは開発スケジュールへの疑問から採用されませんでした。

シエラ・ネヴァダ・コーポレーションはこの結果に現在異議申立てを行っています。

シエラ・ネヴァダ・コーポレーションはまた、貨物輸送や宇宙空間での科学実験に用いることができるドリームチェイサーの小型機の開発も行っています。

ボーイング社やスペースX社が開発している宇宙船と比べると、スペースシャトルの後継機と言うにふさわしいフォルムのドリームチェイサー。いつの日か宇宙へ飛び立つ姿を見ることはできるのでしょうか?

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