女性パイロットの苦難に満ちた歴史とは

日本国内では、女性の社会進出はもはや当たり前で、さまざまな職業はもちろん、繁華街を闊歩する女子高生が社会現象にもなったりとか。こうした状況は他の諸外国も同様で、女性の社会進出にはめざましいものがあります。

電車、タクシーなど公共の乗り物の運転にも女性はどんどん進出しています。なかには長距離トラックの運転手なんて勇敢な女性も珍しくありません。しかし、今ではかなり当たり前なこうした状況も、そうなるまでにはさまざまな苦難の歴史があるものです。これは、女性パイロットも例外ではありません。

さて、ここで「えっ?女性でもパイロットになれるの?」と思われた方、もちろんOKなのです。女性のパイロットへの進出は、旅客機はもちろん、軍関係などまで、世界各国で特に珍しくなくなっています。

とはいえ、その歴史はかなり厳しかったようです。アメリカの場合、セントラル航空にヘレン・リッチーという、民間航空会社初の女性パイロットが、1934年に誕生しました。しかし当時、アメリカの社会はまだまだ男性優位であり、特にパイロットのような特別な職業に関しては、圧倒的な男社会でした。

当時唯一の女性パイロットであったへレン女史は、組合に入ることさえ許可されなかったといいます。そんな環境で、最終的には職場から追われるような形で退職することとなり、その後、自殺してしまうという悲劇が起こりました。

「オイオイ、キッチンにだれもいない家庭がまた増えてるぜ」以降、多くの新たなる女性パイロットに向けて、男性パイロットはこうした言葉で嘲笑してきたといいます。

ですが、現役で活躍している女性パイロットも数多くいます。そのなかでも、パイロットの世界へはもちろん、さらにアメリカの女性の社会進出にも多大な影響を与えた女性がいます。

それがメロー女史です。

17歳から飛行訓練をはじめた彼女は、男どもの心ない対応にもめげることなく、今では本の出版や全米のラジオ出演から、セミナーや講演会などで大活躍。まさに「今、全米で最も有名なパイロット」といっても過言ではありません。

ちなみに日本初の旅客便女性パイロット誕生は1997年、航空会社全体では2002年7月の時点で、まだ8人のみだといいます。

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