「飛行機事故は確率が低いから安全」論に意味はあるのか?

2014年に起きた飛行機事故の中で日本でも大きく報じられたものというと、まず3月8日に発生したマレーシア航空のクアラルンプール-北京便の消息不明事件です。

3月8日の現地時間0時41分にクアラルンプール国際空港を飛び立ったマレーシア航空370便は、1時間半後に管制と通信を行って以降消息を絶ち、2015年4月現在でもその行方は不明のままです。

次いで記憶に新しいのが、年の瀬の12月28日に発生したマレーシアのLCC、エアアジアの系列企業インドネシア・エアアジア機の墜落事故です。12月28日、ジャワ島のジュアンダ国際空港を飛び立ったインドネシア・エアアジア8501便は、シンガポール・チャンギ国際空港へ向かう途中に消息を断ち、その後ボルネオ付近の海中で墜落した残骸や乗客の遺体などが発見されました。

このような飛行機事故が起きるたびに、我々は飛行機という文明の利器を利用するリスクというものを思い知らされます。

歴史上、単独の飛行機事故の中で最も犠牲者が多かったのは、1985年8月12日に発生した日本航空123便の墜落事故です。その日の18時56分に羽田空港を飛び立った123便は、大阪の伊丹空港へ向かう途中、群馬県の高天原山に墜落しました。

この事故では乗客、乗員含め520人の方が犠牲となっています。当該機墜落現場には慰霊碑が建てられ、毎年遺族の方が事故の起きた8月12日に慰霊祭を行っています。

事故発生の2年後に事故調査委員会が発表した調査報告書によると、墜落した原因として考えられるのは、同機が1978年に起こした「しりもち事故」以後の補修が不十分だったために、飛行中に機体後部の圧力隔壁が破損し、機体尾部と垂直尾翼が破損したためとのこと。

ただ、この調査はあくまで墜落した機体の残骸を調査したことから割り出された推測であったので、遺族や日本航空の労働組合などから再調査の申し入れも出されました。また、テロの標的になったとか米軍機に撃墜されたなどといった無責任な憶測を唱える者も現れました。

この事故を受け、航空自衛隊の航空救難団には夜間捜索が可能となる赤外線暗視装置を装備したヘリコプターが配備されています。

複数の飛行機による事故で最も犠牲者が多かったのは、1977年3月27日、アフリカ西岸沖のスペイン領カナリア諸島にあるテネリフェ島で発生したボーイング747-100とボーイング747-200Bの衝突事故です。

まず、ボーイング747-100のほうはパンアメリカン航空の1736便で、ボーイング747-200BはKLMオランダ航空の4805便。両機とも本来はグラン・カナリア島へ向かっていましたが、テロ組織による爆破予告があったため、その隣のテネリフェ島ロス・ロデオス空港へ緊急着陸しました。

その後爆破予告が虚偽であったことが分かったために両機は本来の目的地に向かい、再度離陸しようとしましたが、パンアメリカン機がまだ滑走路にいるにも関わらずKLMオランダ機が強引に離陸をしようとしたために、KLMオランダ機がパンアメリカン機に乗り上げるような形で衝突。両機は爆発炎上して、両機の乗客乗員合わせて583名が亡くなりました。

主な原因は、管制が両機を同時に滑走路に進入させてしまったこと、パンアメリカン機が管制の指示に従わなかったこと、パンアメリカン機が滑走路にいることに気づいているにもかかわらずKLMオランダ機の機長が離陸を強行したことなど。誰に責任があるかというより、関わった管制官、両機の機長それぞれに責任がある事故でした。

この事故を受けて、管制用語の世界統一化、英語の共通化など航空業界全体の規則の見直しが行われました。

飛行機事故というのは非常に少なくなってきています。例えば2014年に起きた飛行機事故は、上記のマレーシア航空機行方不明事件、エアアジア機墜落事故を含めても10件にも満たない数。確率から見ると宝くじやロトに当たるよりも低いとも言われます。

しかし、もし事故に巻き込まれてしまったらそんな確率など何の意味もなくなってしまいます。だから、「飛行機事故が起きる確率は100万フライトに0.37回程度だから大丈夫!」というような理屈には少し違和感を覚えるのも事実。

ただ、凄惨な事故を経て航空業界が事故の発生件数を減らそうと努力していることについては敬意を払わなければなりません。

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