ヨーロッパへは50年前、50時間かかっていたって本当!?

今から50年前には、すでに日本からヨーロッパに飛行機で行くことができました。しかし所要時間は50時間。当時の旅客機は航続距離が短く、途中、多くの経由地に立ち寄らなければなりませんでした。

それに、北極圏などの極地上空を安全に飛行する方法がなかったので、「北回り」ができず、香港、タイ、インドなどを経由する「南回り」が必要だったのです。

1957年、SAS(スカンジナビア航空)が、東京/コペンハーゲン間で、商業航路として世界初の北極ルートを開設しました。

高緯度地域特有の技術的課題を、SASは一つひとつ克服したのです。

まず、北極圏上空を横断するためには、新しい航法技術の開発が欠かせませんでした。それは、方向を安定的に把握することが極めて困難だったから。

子午線の間が次第に狭くなり、やがて北極の一点に達する従来の航図では、パイロットはナビゲーターの支援なしには飛行できません。星や太陽の位置がはっきりしない、春分・秋分・薄暮の季節には、その航図での位置測定がもはや不可能。

SASの技術陣がまず完成させたのは、従来の航図に代わる地図です。北極を中心とした格子型の地図で、いわゆる「ポーラーグリッド地図」後に「SAS900北極地図」と名づけられました。

コンパスについても「北極通過ジャイロコンパス」や「コルスマン・スカイ・コンパス」を開発。

もしかしたら非常時には、北極圏に緊急着陸しなければならないかもしれません。その時の備えも考えておかなければなりませんでした。

乗客乗員を保護するための特殊な衣類やテントが開発され、暖房装置や緊急の無線送信装置、さらには白熊を一撃でしとめるための特殊な銃も用意されました。

もちろん、これらの特殊な航図や装備品に対応できるよう、クルー達はくり返し訓練を受けました。

SASの北極ルートはそうして実現したものです。かつての南回りのルートに較べ、距離にして3750キロ、飛行時間で20時間が短縮されました。

その後も北回りルートの改良は続き、現在、東京/コペンハーゲン間は飛行時間11時間30分に短縮されています。

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