本当のLCC”元年”は2012年ではない!?

欧米のLCCの発端は1970年代後半に見られます。その後、アジアに普及し、新しいLCCが次々と誕生しました。これらの地域では毎月のように就航都市も増え、航空市場におけるLCCの利用率も瞬く間に上がってきました。

また、LCCの普及に伴い、ライフスタイルも変化してきました。これまでいつも電車を利用していた人、飛行機に乗ったことがない人、高価で利用できなかった人などが、気軽に飛行機で旅行に出かけることができるようになりました。

いいこと尽くめのようですが、日本でLCCという言葉を聞くようになったのは、ここ数年です。なぜ、世界中で普及してきたLCCが日本では定着しなかったのでしょうか。

そもそも日本の航空業界は国土交通省によって牛耳られていました。

そのため、規制という障壁が、日本での自由な航空会社の設立を阻んでいたのです。国土交通省としては「安全性の担保」という理由を挙げていますが、そもそも日本の空は寡占状態が続いており、規制が緩和されたのがわずか十数年前のことなのです。

その規制緩和をチャンスとして出てきたのがスカイマークやエア・ドゥといった国内版LCCです。

普通運賃の3~5割引きを特徴とし、搭乗率80%をめざしました。

順調に拡大していくかと思われたのもつかの間、ANAやJALの大手航空会社が価格で追随してきたため、経営は悪化していったのです。

そのため、日本人には馴染みがないLCCですが、実は、十数年前からあったのです。ただ、規制緩和をしておきながら、結果的に出る杭として潰された形になってしまったのです。

それでは国際線はどうでしょうか。

これに関しても規制に縛られていたようで、あるレポートによると、「国際航空運賃は二国間協定によって決定され、独占禁止法の適用除外の特例が世界的に認められ、わが国では航空法第110条でカルテルとはならない旨定められている。(中略)

国土交通省は2007年9月21日、日本発の国際航空運賃の事実上の下限を設定している現行規制を撤廃し、2008年4月から原則自由化する方針を発表した。ただし、認可制度は存続し、特に合理的な理由や、極端な設定でない限り自動的に認可する」としています。

最近、エアアジアや中国春秋航空のようなアジアのLCCが、日本に参入してきたのはこのような背景があるためでしょう。2010年春に茨城空港が開港、秋には羽田空港に4本目の滑走路が完成しました。

成田空港も発着枠を広げ、混雑していた首都圏の空港に余裕が生まれ、LCCなどの新たな参入を受け入れる余地が生まれました。一方、関西国際空港はもともとガラガラで、新規の航空会社は着陸料を1年間無料にするなど割引サ-ビスを行いました。

実際、日本でLCCが育たなかっ理由は、確かに政府の規制もありましたが、日本の航空行政にも問題があったといえるでしょう。過去10年間の日本の航空行政は、経営が不安定だったJALをどう守るかが隠れたテ-マでした。しかし、JALの法的整理でJALへの配慮がなくなり、環境は一変してしまいました。

JALの経営破綻と規制緩和による海外LCCの参入により、日本の航空業界を独占してきたANAも、そして新生JALも、LCCという選択肢を取らざるを得なくなりました。

2011年になると、日本でLCCを巡る新たな動きが見られ、JALが豪州のLCCであるジェットスターと共同して「ジェットスター・ジャパン」を設立し、ANAはマレーシアのエアアジアと「エアアジア・ジャパン」を設立しました。

また、スカイマークは2011年の秋から成田発着の路線を開設しており、同社はLCCのビジネスモデルを本格的に導入する旨のコメントを出しています。

ところが同社はLCC戦略とは異なった事業モデルの展開も発表しており、2014年より国内線にエアバスA330型機を導入し、2クラス制とする旨を発表しました。

その他にも、長距離国際線に超大型機エアバスA380型機を投入し、高品質な機内サービスを提供することも表明しています。

LCCに関するあるインタビュー調査で、「短距離便ではサービス削減は気にならない。サービスと引き換えに削減されたコストを反映して、運賃を下げてもらいたい」「必要なものは自分で好きなものを購入するほうがよい。だから、余計なサービスはやめて、そのコスト分だけでも基本運賃を値下げして欲しい」といった考えが多数を占めていたそうです。

一律のサービスを提供することは、現代において、細分化が進む旅客のニーズにマッチしていないのかもしれません。今後は、日本でも、LCCが普通の航空会社として広く受け入れられていくのではないでしょうか。

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